素っ気無い態度 *** Mar.05.2005


 珍しく八葉全員が四条の館にそろったときのことだった。
 院側、帝側の対立、さらに花梨に対する龍神の神子の真偽の是非も加わって、互いの信頼は未だ薄い。自然、控えの間として用意された八葉専用の部屋には、どんよりとした沈黙が降り、険悪な空気が漂っていた。
 そんななか、彰紋がためらいがちに口を開いた。このささくれ立った雰囲気をなんとかしようとしたのだろう。
「侍従、ですか?」
 と幸鷹に問う。
「はい?」
「香です。翡翠殿と同じだと思いまして。少し合せ方が違うようですが」
 翡翠が小さく笑いを漏らす。
「そんな嫌そうな顔をすることはないだろう、別当殿」
「わたしはそんな顔などしていない」
「そうかい? しかしさすが彰紋様、よくおわかりだ」
 イサトは呆れたように言った。
「あんた、海賊なのに香なんて使ってんのかよ」
「海賊が香を使ってはいけないというきまりなどないよ。それに香を使うことはなくとも、誰しも好きな香りというものはあるだろう?」
「……まあ、な。じゃあ、花梨はああいう匂いが好きだってことかよ」
「花梨さん? 花梨さんが香を使われているのですか?」
 幸鷹が口を開いた。
「はい。……もしや今までお使いではなかったのでしょうか?」
 すると泰継がうなずいた。
「そのとおりだ。紫姫は勧めていたようだが」
「ああ、俺も知ってる。けど意外だな。感心があるようには見えなかったぜ」
 と勝真が茶化すように言う。
「なにか心境の変化があったのだろうね。さて、姫君はなにをお使いなのかな?」
 泉水がおどおどと、躊躇いがちにそれに応じた。
「彰紋様や翡翠殿のように造詣が深いわけではございませんので、はっきりとは申せませんが、恐らく梅花なのではないかと」
「梅花、ですか?」
 彰紋は目をぱちくりさせて、勝真のほうを振り向いた。
「確か勝真殿のお好きな香りでしたね?」
「あ、ああ」
「ほう、それは羨ましい限りだね」
「なにがだよ」
「決まっているだろう。姫君が梅花を使っていることが、だよ。自分の好きな香が使われて、君も嫌な気はしないだろう?」
 勝真は口をつぐんだ。
 そのまま、今度は先ほどとは違った奇妙な沈黙が落ちる。
 頼忠は彼らより少し離れたところに座って、ただ黙ってその会話を聞いていた。いつもの無表情で、しかし膝の上で軽く握った拳を我知らず硬く握り締めながら。


 大路を歩いていた花梨はふと前方に見慣れた後ろ姿を見つけた。
 この人込みの中でも頭一つ分が優に出ている、極めて短い短髪。実際には翡翠とさほど変わらない背丈だというが、いつも背筋を張っている分、より高く感じる。
「あれ、頼忠さんですよね?」
 と両隣を歩く勝真と泉水に訊ねた。
「あー? みたいだな」
「そうでございますね」
「確か、今日は武士団のお仕事があるって言ってたんだけど、もう終わったのかな?」
「さあな」
 と勝真はいかにも感心なさそうに肩をすくめる。口はへの字に曲がっている。
 泉水はそんな勝真を窺いながら、返事を返す。
「白河方面から参ったようですし、この時刻ですからそうなのだと思います」
「ですよね。わたし、声かけてきます」
 今にも走り出そうとする花梨を、勝真が止めた。
「おい、待てよ。あいつに声をかけてどうすんだ?」
「どうって、一緒に四条の館に帰るんですよ」
「はあ? 一緒にだと?」
 花梨は、盛大に顔をしかめる勝真を諌めるように言った。
「そうですよ。行き先が同じなんだもの。それに頼忠さんと勝真さんは同じ青龍なんだから仲良くなってもらわないと困るし」
「仲良く? そいつは無理な話だ。だいだいあいつは……」
「あ、頼忠さんが行っちゃう」
「はあ? あっ、おい! 花梨!」
 花梨は遠ざかる後ろ姿を慌てて追った。
 歩いているというのに頼忠の足は速かった。
 人と人との合間を縫って懸命に追うがなかなか追いつけない。いつも見上げてばかりで、正直、首が痛くなったりもするが、こんなとき長身なのは助かる。
 人の流れが切れたところで、花梨は大声を上げた。
「頼忠さーん!」
 頼忠の足が止まり、わずかに後ろを振り返った。同時に軽く目を瞠る。
「……花梨殿」
 花梨は笑顔で頼忠の許に駆け寄った。
「こんにちは、頼忠さん! お仕事、終わったんですか?」
 わずかに息を弾ませる花梨をかすかに戸惑った顔で見つめながら、頼忠は返事を返した。
「はい。……わたしを追ってこられたのですか?」
 花梨はうなずいた。
「ちょっと先で見かけたから。すぐに追いつくかと思ったんだけど、頼忠さん、足が速くて」
「申し訳ございません」
「あ、ううん、謝らないでください。いつもはわたしに合わせてくれてるんですよね。ありがとうございます」
「いえ。従者として当然のことですので」
 花梨は笑顔を強張らせた。
 頼忠の言葉が少ないことは今にはじまったことではない。従者云々もよく耳にする。だがなんとなくなにかが違う気がする。同じ言葉、同じ話口調なのにいつもより素っ気ない気がする。
 院の呪詛をなんとかしようとしている今、頼忠と出かける機会も多い。さらに屋敷の警護をしてるから、顔を合わせる回数も多くなっていた。花梨の世界に興味を持ってくれたりと、わずかばかりだが歩み寄ってくれていると思っていたのだが。
 そもそも神子だとは認めてもらっていないからかと思う。しかし、それとはまた微妙に違うような気もしないでもない。
 せっかく好きな香を使っても無駄なのかもしれない。
「花梨殿、お一人ですか?」
 そう訊ねられて、花梨ははっと我に返った。
「う、ううん。違います。今日は泉水さんと、勝真さんが一緒です」
 頼忠の顔が微妙に変わったのに気づかないまま花梨は後ろを振り返った。頼忠も花梨の後方へと顔を向ける。
「こんにちは、頼忠」
 とにこやかに会釈をする泉水。
 その傍らで、勝真が敵意向きだしの表情でつっけんどんに口を開いた。
「よお」
 頼忠は無言のまま軽く頭を下げた。
 それにむっとしたのか、勝真は皮肉っぽく言った。
「源氏の武士殿は、帝側の人間とは口を利くのもいやとみえる」
 頼忠が表情を険しくする。
 一触即発といった雰囲気に、花梨が慌てて口を挟んだ。
「あ、あの、頼忠さん、これから四条に戻るんですよね? だったら一緒しませんか? それから戻ったら、一休みしましょう。今日、泉水さんがお菓子を持ってきてくれたんです」
 花梨の笑顔に険悪な空気が霧散する。
「……いえ、わたしは」
 と断ろうとする頼忠を遮って、花梨は続ける。
「泉水さん、みんなの分も持ってきてくれたんですよ。ねっ!」
「あ、は、はい。遅ればせではございますが、その、八葉のみなさまとお近づきの印にと思いまして持参いたしました、あの、どうか、ご遠慮は無用に願います」
 そう泉水にまで言われてしまうと、頼忠も断る理由はない。
 頼忠相手にピリピリしていた勝真も、幾分表情を和らげた。
「わかった。他意はなさそうだな。ありがたくいただくぜ」
「一言余計ですよ、勝真さん」
 花梨はもうと勝真を睨む。
 勝真は優しく笑いながら、花梨の頭をくしゃっとやった。
 唐突に頼忠が口を開いた。
「花梨殿、そろそろ参りましょう」
「あ、はい。そうですね。早くしないと遅くなっちゃう」
 そうして足を踏み出したとき、花梨のスカートの辺りからぽとりとなにかが地面に落ちた。
 それを泉水が気づいて、拾った。
「あの、花梨殿、これは?」
「はい? あ、それ」
 勝真が泉水の手許を見る。
「なんだ、匂い袋か?」
 梅花の甘い香りが漂い、勝真の表情が優しいものに変わる。対して頼忠の表情がかすかに翳る。
「そうです。みんなにあげたいなと思って、試しに作ってみたんです」
「で、では花梨殿がご自身で?」
「はい。わたしも泉水さんと同じです。こんなと出会えて嬉しいし、もっと仲良くなりたいって思うもの。なにがいいかなって考えたとき、みんな、好きな香りがあるっていうのを思い出して」
「それで匂い袋なのか」
 花梨は大きくうなずいた。
「あ、でも、男の人には必要のないものかな」
「まあ、持ち歩いたりはしないな。けどもらっていやなものでもないぞ」
 泉水も勝真の言葉にうなずく。
「勝真殿のおっしゃるとおりです。花梨殿のお気持ちがこもっているのならば、なおさら嬉しく感じます。この匂い袋の香りは、花梨殿が使われている香と同じものなのですね」
 花梨はその言葉に感心した。
「やっぱりわかるんですね。こっちの人ってすごいや」
「気に入っておられるのですか?」
「えっと、ええ、まあ」
 花梨はぽっと頬を淡く染め、曖昧に笑った。
「そ、それより行きましょう」
 やおら四条の館に向かって歩き出す。
 花梨は、三人に満遍なく話しかけたが、やはり頼忠の反応は今一つ薄かった。
 花梨達の帰りを紫が出迎えてくれた。先に勝真と泉水を屋敷に上げ、花梨は庭のほうへ向かう頼忠に声をかけた。
「頼忠さん、すぐに来てくれますよね?」
「……はい」
「よかった。待ってますから」
「ありがたいお言葉です」
 言葉が少ないばかりか、頼忠はわずかに俯き、花梨のほうを見ようとしない。
 花梨は口篭り、頼忠はそのまま辞しようとした。
「待ってください」
「なにかまだ?」
 とけげんそうに振り返る頼忠。
「えっと、あの、頼忠さんはこの香のことどう思いますか?」
 頼忠は束の間口を噤み、ぼそりと答えた。
「…………甘すぎるかと」
 花梨は目をぱちくりさせる。
「甘すぎ、ですか?」
 再び黙り込んでしまうかと思ったが、頼忠は意外やすらすらと返事を返す。ただちょっと口ぶりに険がある。
「はい。しかし勝真は気に入っているようです」
「は、はあ。でも、頼忠さんはもっとすっきりした感じがいいんですよね?」
「……はい」
 なるほどと納得する。甘い香りが苦手ならば、好感度が上がるわけがない。
「わかりました。ありがとうございます」
「いえ」
 頼忠は無表情のまま一礼すると、その場から去った。
 それを見送り、花梨は思わずため息を漏した。が、すぐに気持ちを切り替える。
「落ち込んでる場合じゃないよね。これからだもん。頼忠さん、頼忠さんのお香の好みもわかったんだし。大丈夫」
 花梨は一人でうなずくと、屋敷の中に入って行った。


 八葉全員が四条の館に揃うことが珍しくなくなった頃のことだった。
 院側の八葉も花梨を龍神の神子と認めたものの、院側、帝側といった勢力対立は未だ残ったままで、依然互いの関係はぎくしゃくしている。以前よりいくらかましになったとは言え、やはり控えの間の雰囲気は和やかというには程遠い。
 しかしその日はあることが理由で柔らかい空気が流れていた。
 口火を切ったのは勝真だった。もっとも相変わらず会話に乏しいのを気にしたわけではない。
「作るとは言っていたが、本当にやるとは思わなかったな。あいつもまめな奴だ」
 とつい先程、紫から手渡された匂い袋を掲げて嬉しそうに言う。
 彰紋も匂い袋に微笑む。
「僕は花梨さんらしいと思います。あの方は本当に嬉しいことをしてくださいますね」
 泉水も笑みを浮かべて、彰紋に同意した。
「そうでございますね。神子はまことにお心の暖かい方です」
 そうですねと、幸鷹もうなずく。
「しかもわざわざ各人の好みの香で作ってくださるとは」
「が、できれば、もっと個人の趣味に副ったものであれば、なおよろしかったのだがね」
 幸鷹は硬い声を出した。
「あなたは、神子殿がお忙しい中、作ってくださったものにけちをつけるのですか?」
「まさか。そんなつもりはないよ。君がいやなのではないかと、そう思っただけさ、別当殿。おや、怖い顔だね」
 彰紋が取り成すように言う。
「幸鷹殿、花梨さんの好意は翡翠殿もよくわかってらっしゃいますよ。翡翠殿、それは花梨さんの香合わせの手解きをしたいということでしょう?」
 翡翠は笑った。
「これは、これは。怖い方だ」
 匂い袋を眺めていた泰継が不意に口を開いた。
「ふむ……。合わせ方が違えば、香りも変わる、か」
「ああ、それでか」
 とイサト、ぽんと膝を叩く。
「なにが、それでか、なのですか?」
 首を傾げる彰紋に、泉水が言いにくそうに応じる。
「以前同様、神子が使っておいでなのは梅花なのですが、前のものとは少し香りが違っているように思えるのです」
「思えるのではなく、はっきり違うと言えばよかろう」
 泰継の言葉に、泉水は口をつぐんで、俯いた。
「えっ? そうなのですか?」
「はい、確かに以前より甘さがなくなっていますね」
 彰紋は戸惑った様子で、ちらちらと勝真を窺う。
 勝真が苦笑する。
「おい、彰紋、俺に気を遣うことなんてないんだぞ」
「もしかしたら梅花を選んだことに意味はないのかもしれないしね」
「あんた、いやなこと言うな」
 勝真がそう言って顔をしかめたとき、頼忠が部屋に入ってきた。
「今日は遅かったのですね、頼忠」
「朝早くに武士団のほうで所用がございましたので」
 頼忠は彰紋に向かって軽く頭を下げた。その拍子に懐から匂い袋が転がり出た。
 翡翠が取り上げる。
「それは……」
「もしや神子殿からいただいたのかな?」
「はい、おっしゃるとおりです。昨日、散策から戻られた折に」
「ほう、昨日、ねえ」
 不意に泰継が言った。
「その香りだ」
 控えの間に衝撃が走った。
 そこへ明るい声が響いた。
「おはようございます!」
 現れたのは、言うまでもなく、頼忠が持つ匂い袋と同じ香りを漂わせた花梨であった。

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